こんにちは。ぱにです。

医学系の研究室で博士号取得を目指しています。
この記事では、博士課程の学生に対する印象をもう少し柔らかくしたいと思い、個人の感想を書いていきます。
偏見も混ざっているとは思いますが、実際に博士課程を経験した一学生の意見として、是非様々調理していただけたらと思います。
博士課程の認知度は想像以上に低い
さて皆さんは「博士」「博士課程」と聞いてどんな印象を受けますか?
僕がこれまでいただいた言葉をいくつか紹介します。
えすごーい!頭いいんだね!
へえ〜。普段何してんの?
もっと根暗な人がなるのかと思った笑
博士課程に進学する人の母数が少ないので当然ですが、やはり認知度は低い。

博士課程の人と話すのは僕が初めてという人は、多いどころかほとんどです。
アメリカはじめ欧米では、博士号取得者は Ph.D. = “Doctor”として社会的敬意があり、明確にステータスとして認識されています。
日本で医師や弁護士のことを「先生」と呼ぶような感覚に似ているのかなと想像しますが、残念ながら日本には現状この認識がありません。
そもそも博士課程に進むとは?
このサイトに訪れる方のほとんどは、博士課程の構造をご理解されている方ばかりだと思うので、
本当に簡単に、大学・大学院・博士課程の構造を図で説明したいと思います。

ポイントは、大学院組織は2階建て構造になっていて、修士を修了した人が進学する先が博士課程というレイヤーになります。
数字でもわかるように、大学を出て修士号を修めて博士課程まで進む人は1%未満という極めて限られた人しか進まないことがわかりますし、
無事に博士号を取得した人はこの数字よりももっと少なく、日本の人口100万人当たり123人(0.01%)であるという統計データが出ています(文部科学省 科学技術・学術政策研究所、科学技術指標2023)。

”希少人材”であることには間違いなさそうです。
博士課程の人々は「天才集団」なのか?
ここで勘違いをしてほしくないところは、
多くの博士課程の方々は優秀であるが、ずば抜けた天才だらけではないし、
ましてや勉強だけが大好きで常識がなく、機転の利かない真面目人間ではない、ということです。

もちろん個人の感想であることを断っておきます。
かくいう僕も高校生の時は、博士を取るような優秀な人とは、研究室に引き篭もり周囲とのコミュニケーションを断ち切って鎖国を完成させることで、重大なブレイクスルーを起こす人だと思ってました笑
この偏見は酷いものですが、少なくとも博士は才能のある雲の上の人がなるもので、自分とは関係ない世界だなと思っていました。
実際、大学院での学生生活を発信している方の記事を探して拝見しますと、
論文なんてなくても学振通ったからアドバイス
毎月最低でも論文30本読むべし
論文3本通して2本リバイズ待ち
TOEIC900点以上を取る方法
一流海外大学院留学のススメ
などなど、この世にはバケモンがいるんだなあと、ジェラシーを超えて純粋に感嘆してしまう内容が、つい目に留まるようなところに多いように感じます。
そんなシビアな世界で生き残れるのか、僕自身も悩んだ時期がありました。
今振り返れば、なんでもできるスーパー博士学生だからこそ積極的に発信している訳で、そこだけを切り取って自分の能力の無さを悲観する必要はなかったと思います。
ロールモデルや目標としては超一流のコンテンツですので、是非探して覗いてみてください。
博士課程は地獄の入り口なのか?
少し視点を変えて、Googleで「博士課程」のサジェストキーワードを見てみると、
博士課程 地獄
博士課程 孤独
博士課程 つらい
博士課程 ワーキングプア
闇の深さが滲むような言葉たちが目に飛び込んできて悲しい気持ちになりました。。。
ChatGPTにも聞いてみました。

博士課程とはつらいのでしょうか?

率直に言うと、つらいと感じる人は多いです。
博士課程は、知的にも精神的にも自分と向き合い続ける時間です。だからこそ、つらい。でも、自分の価値観や本当に大切にしたいことが見えてくる時間でもあります。
ChatGPT、すごくいいこと言いますね。ただつらいと感じる人が多いことも現実。
そして僕も実はその一人になってしまっていました。
心を病んでしまった話や立ち直った話は、またどこかで記事にしたいと思います。
以上をまとめると、一部の超優秀な人がレースを勝ち残り、レースから脱落すると心を病んでいく、まさに過酷で熾烈な争いが繰り広げられるところが博士課程なのだと、そう突きつけられているかのような思いになってしまいます。
博士課程は勝つか負けるかの二元論の世界線ではない
「博士課程は勝ち負けがすべて」
はたして、これは真実なのでしょうか?
分野によってはいまだにそういった側面が取り払えないところもあるかもしれません。
限られたアカデミアのポジションの椅子取り合戦に勝ち、教授へと上り詰めることを狙うなら、非情な結果を覚悟しなければならないかもしれません。
仮にアカデミアの世界に残らないとしても、経済的にも決して恵まれているとは言えない中で、
ハードワークをこなさなくては厳しい修了要件をクリアするのが難しいということも、一つの事実ではあると思います。
しかし、博士課程という環境は認知が低いゆえからか、どうしても両極端な側面ばかりが表に出てきやすいような印象です。
修士課程の学生ですら、話してみると自分の研究室の実情しか情報を持っていない人が多く、
アカデミアという世界の閉塞感も、この二元論を増長している気がしています。
これからの博士課程に必要なのは、好奇心とレジリエンスと勇気をちょっとずつ
僕が博士課程への進学を決めたのは、まさか自分の才能に突然気付いたからではないですし、率先してメンタルブレイクを起こしたいからでもありません。
本当に偶然にも、「博士」に対する追い風が少しずつ吹き始めたから、です。
自分のことを客観視できる方だと思っているのですが、能力値でいったら特別なものはなく、博士課程で求められるレベルには足りてないだろうなと思っていたのです。
それゆえに、経済的なところをすごくネックに考えていました。
そんな中、博士人材に手厚い支援をする制度がちょうど走り始め、平凡な自分でも経済的な自立を実現して博士課程で研究できることが現実味を帯びてきたのです。

経済的な問題が解決されたとして、能力が追いついていない自覚があったのだから、進学は辞めるという選択肢も取ることはできました。
しかし、ここまで博士課程をやってきた感じたことは、
研究に対する好奇心と、逆境を受け流せるレジリエンスと、見通しが悪いなかでも一歩踏み出す勇気
これらがあれば、あとは意外と何とかなるということです。
僕にはさらに幸運なことに、家族の理解があり、応援してくれる友人先輩後輩に恵まれました。
孤独にならない、これも非常に大事なことですね。
博士課程は楽しくて一瞬で終わってしまったと言うのは嘘になってしまいますが、博士課程の学生に対する理解や周囲の応援が味方してくれているからこそ、長い研究生活を完走できるという自信は持っています。
トップを走り続ける研究者にはなれないかもしれないけど、博士号の取得を実績として社会で活躍できる人材になれるというロールモデルくらいにはなってみたいと意気込んでいるところです。
是非是非、ぱにの博士修了を応援してあげてください。
同じ志を持つ皆様、是非一緒に頑張りましょう。
では。
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